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数日間更新が停滞し、申し訳ありませんでした。
さて本日はお待たせしておりました、「阪神電鉄 淀川駅付近旧線跡」を再訪した時の模様と、簡単な机上調査の結果をお伝えしたいと思います。


▼まずは淀川駅ホームより、新橋を。
512003.jpg
旧線はこの新橋のすぐ右隣を通っていました。

▼淀川駅のコンコースには旧橋の一部が保存されています。
515002.jpg
本当に一部だけなんですね…(笑)
図書館で古い写真を確認してみましたが、旧橋もトラス橋で当時から複線だったようです。

図書館に行ったついでにいろいろ調べてみました。
「阪神電気鉄道八十年史」によれば、旧橋が竣工したのは明治38年であり、部分的な補修を加えながらも半世紀の使用にも、戦後の輸送力向上にも対応し、構造上の強度は十分だったとのこと。

驚いたのは、架け替えの一番の原因が強度の低下や高架化では無かったということです。

一番の原因は、昭和初期から始まった大阪南部の地盤沈下だそうで。2度にわたり旧橋両岸橋台を述約90cmも打上して沈下に対処していたそうです。
旧橋の累積沈下量は最終的に最大2.32mに及んだとのこと。

▼旧線と現在線の位置関係。
515004.jpg

手前の青い橋の位置が旧線なんですが、現在線よりかなり低い位置を通っています。

旧線よりかなり高い位置にある堤防ですが、かなり早い段階で完成しており、なんとまだ新橋に切り替わる前の27年には堤防の打ち上げが完了していたとのこと。
その時取り残された軌道部分は「陸閘」を設けて対処していたそうです。

陸閘といえば現在でもよく見かえる鉄の扉が付いたものが一般的ですが、当時はそんなものはなく松の角材と土嚢を使用した「角落し」によって締め切っていました。強風と豪雨の中、人力でそれらを積み上げる大変な作業だったそうです。
昭和39年には鉄製でガソリンエンジンのものに変えられたそうですが、それでも水防・運転上のネックには違いは無く、先の地盤沈下も影響し架け替えることが決定されたそうです。

▼淀川駅付近旧線の位置より、対岸の姫島駅に向かって
515003.jpg

肝心な旧橋の撤去時期は昭和43年でした。(昭和42年12月には上下線とも新橋に切り替え完了)
高架化に関しては、昭和37年にすでに野田駅周辺の高架化が完了していたそうで、その高架と連続させる形で高架化されたそうです。

てっきり野田駅周辺と同時期に高架化されたものだと思っていたので驚きました。
戦後まずはじめに高架化されたのが野田駅周辺だったとのこと。

なかなか奥が深いですね…近所のすごく身近な廃線跡ですがなかなか楽しむことができました。

みなさんも身近なところについて一度調べてみてはいかがでしょうか?思わぬ発見などがあるかもしれません。

それではまた♪

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2013/05/27 16:22 廃線・旧線 TB(0) CM(0)
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